【ビジネス】笠原健治の経歴・考え方(大阪の経営者シリーズ)

こんにちは。 三谷勇祐です。

 

今回は30代前後の方の多くが使ったことがあるSNS

mixi』の創業者である笠原健治さんについて調べてみました。

 

笠原さんも大阪の出身。

会社を東京で設立されている方で全く訛っていなくても、

大阪生まれの経営者は結構多いんですね。

 

①起業の経緯

笠原さんは大学三年生の時に「FindJob!」という求人サイトを立ち上げました。

そのキッカケは当時笠原さんが所属していた経営戦略のゼミで

マイクロソフト』『アップル』『デル』など、

米国のIT企業が多く取り上げられていたことだそうです。

 

ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズ、マイケル・デルたちは、

自分と同じくらいの年齢のとき、

一人か数人で自宅やガレージのような小さなところから起業している。

ならば自分にも可能性があるのではないか!

 

そう思ったのが起業のキッカケだったそうです。

「誰かがやっているのであれば自分にも出来るのではないか」

という心構えは見習っていく必要があると感じました。

 

②起業の精神

笠原さんは起業家に必要な資質は「志を高く持つこと」と言っています。

このことについて次のように笠原さんは語っています。

会社経営をしていると、困難なこと、大変なことは常に起きます。高い志がなければ、到底それを乗り切るエネルギーは湧いてきません。「志を高く持つこと」というのは、起業家にとって非常に重要な資質だと思いますね。 (ニッポンの社長より引用)

 

僕が起業を志す時も、この精神は師匠からずっと学んできました。

成功している人の考え方は共通していると笠原さんから学ばせてもらいました。

 

これからも日々学び続けながら仕事に励んでいきます

 

(参考)

https://www.nippon-shacho.com/interview/in_mixi/

【ビジネス】中内功の経歴・考え方(大阪の経営者シリーズ)

こんにちは。

三谷勇祐です。

 

今回は一代でダイエーを設立した超一流の大阪のビジネスマン、中内功さんの経歴について書いてみたいと思います。

 

①幼少期からダイエー設立まで(戦争の経験を経て)

中内さんは貧乏な家庭で育ち、小さい頃は毎日米を買いに行かされていたようです。

要はその日暮らしの生活をしていたとのこと。

 

成長してからは、フィリピンのジャングルにて戦争も体験。

その経験をこう語っています。

フィリピンの野戦でいったん死線を通ってきたのが私の原体験。人間は幸せに暮らしたいと常に考えています。幸せとは精神的なものと物質的なものとがありますが、まず物質的に飢えのない生活を実現していくことが、我々経済人の仕事ではないかと思います。

物質的に豊かさをもった社会こそ豊かな社会ではないか。好きなものが腹いっぱい食えるのが幸せです。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

 

この経験もあって、1957年に現在のダイエーの前身「主婦の店・ダイエー薬局」を立ち上げたそうです。

 

 

ダイエー立ち上げから価格破壊へ

「主婦の店」は主に衣料品・化粧品・薬品などを扱う店で、途中で価格競争に巻き込まれて苦戦していました。

その時の中内さんに、常務がこう言ったそうです。

「店の半分を改装して、食品を扱ったらどうでしょう。特に菓子類は絶対に置くべきです。」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

当時は食品のディスカウントは行われておらず、消費者にとっては非常にありがたい存在になりました。

これがキッカケで大繁盛し、チェーン店の展開が進んだようです。

 

その後ダイエーは、中内さんの幼い経験があってかもしれませんが「価格破壊」をキャッチフレーズに打ち出し、商品を2割、3割と安く販売していきました。

 

当然周囲からの反対もあったようですが、

「値段を安く、よい品物を提供するのは商人の使命なので、自信を持ってスーパーマーケット方式を進めていく」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

 

と言って、どんどん価格破壊を押し切っていきます。

これにより流通革命を起こしたダイエーは、昭和を代表する企業に成長しました。

 

③まとめ

ダイエーはバブル後の不況もあり現在はイオングループの一員でもありますが、確実に世の中に大きなインパクトをを起こした素晴らしいスーパーだと思います。

僕も周囲の反対を押し切ってでも、自分や社会のために必要な行動を起こしていきます。

 

(参考記事)

https://www.sbbit.jp/article/cont1/36599

【ビジネス】実は大阪生まれ!宇野康秀の経歴・考え方✨

こんにちは! 三谷勇祐です♪

 

今回は有名な経営者としてインテリジェンス(現在・パーソルキャリア)およびUSENに携わってきた、宇野康秀さんの経歴について書いてみます✌️

 

パーソルもUSENも東京の会社なので、宇野さんが実は大阪生まれだということに驚きでした❗️

 

①小学生時代

宇野さんは小学校3年生で「鉄道会社をやりたい!」と作文に書いていたそうです👍

僕は当然、小学生の頃はそんなことは考えたこともありませんでしたw

 

②父からUSENの引き継ぎ

宇野さんは36歳の時にインテリジェンスの社長をやりながら、父親がやっていてた大阪有線放送(現・USEN)の社長を引き継いだそうです。

その時の有線の負債はなんと800億円❗️

 

当時、宇野さんはこう考えたそうです🔔

父に対しては反発の気持ちも大きかったんですけれど、普通にランドセルを背負って学校に通い、大学にも行かせてもらえたのは事業のおかげだし、父の会社で働く人たちがいたからでしょう。だったら、なんとかして会社を立ち直らせる責任もまた自分にあるのかなと最終的には思ったんですよね。(マイナス800億円の“遺産”を背負ってより引用)

 

 宇野さんが引き継いで10年後の08年8月の決算にて、USENは負債を全部完済😄

 

素晴らしい実績を残されているにも関わらず、会社経営に対して、宇野さんはこうも語っています😆

昭和の名経営者に比べたら、今のIT(情報技術)ベンチャーの連中なんて、まだまだ小粒だってことでしょう。全然、追いついていないと思いますよ。もしかすると、それが原動力になっているのかも。(マイナス800億円の“遺産”を背負ってより引用)

宇野さんの高い志にとても刺激を受けました⚡️

僕も日々高い志を持ちながら事業に携わっていきます👍

 

(参考記事)

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO0373750017062016000000/

 

人種問題や多様性を受け入れる大事さ〜ベネズエラ人のジャーナリストマリアナさんが語る〜

こんにちは✨三谷勇祐です✌️

 

今日はマリアナ・アンテシオさんの動画を見ました! 

そこでジャーナリストの彼女だからこそ伝えられる、平等への道というのを学びました❗️

 

www.youtube.com

 

現在はアメリカでジャーナリストをしている彼女😄

もともとは南米のベネズエラ出身で、父の影響で7歳の時に渡米。

 

高校生の終わりまでを過ごし、英語を初め複数の言語を使いこなせるまでに🔔

そしてこの留学経験で、他人との人種・文化・考えの違いを受け入れられるようになったそうです❗️

 

高校卒業後、ベネズエラに帰国。 

その時はベネズエラでジャーナリストをしよう!と思っての帰国でした。

 

しかしその直後にベネズエラ政府が国内最大のテレビ局を封鎖❗

そこから雑誌や新聞などの検閲まで始まり、この状況ではジャーナリストとしてやっていくのは難しいと思った彼女は、再び渡米✈

 

アメリカでジャーナリストになりました。

 

彼女はオバマ政権・トランプ政権の取材経験を通して、アメリカという国は移民に対して冷ややかな目で見ているということを強く実感したそうです💦

考え方や文化の違いを理解すれば良いだけなのに…💦

 

 

この動画が伝えてくれることは、アメリカという人種のるつぼにいる彼女だから語れることです。

 

僕も法人の理念として、性別に関わらず多様性を認めるということを掲げています。

だからこそ考えさせられましたし、これからも考えていこうと思っています。

 

日本では人種などの差別を感じることは少ないかもしれませんが、世界を知るという意味でぜひ一度見てみてください❗️

【ビジネス】大阪のドン・住友財閥について調べてみた

こんにちは!  三谷勇祐です✌️

仕事をしている上で、取引先の経歴を調べることの重要さを感じる機会がありました😊

 

そこで、僕が大阪で仕事をしている大阪での有名な企業の歴史についても調べてみようと思い、まずは有名どころの住友財閥について調べて見ました❗️

調べてみてすごく勉強になったので、いくつかのポイントに分けてシェアさせていただきます

 

①ロゴ

f:id:maki1122829:20200520102835p:plain

(引用)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%8F%8B%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

上のロゴは「井桁(いがた)」と呼ばれています🔔

赤のバージョン(住友生命)で見たある方が多いのではないかと思います!

 

そして、この井桁の由来は住友家の屋号である「泉屋」が由来のようです。

泉という文字は

・清冽な水が昼夜をわかたず滾々と湧き出てつきない

・お金

という2つの意味があるようで非常に「縁起が良い」ものとなっているようです😊

 

ビジネスをする上で「縁起が良い」ということは非常に大事です。

法人を立てる上でも「理念」や「ロゴの縁起の良さ」は重要視すべきだと思います🔔

 

②家訓

初代の住友財閥のトップ・住友政友が残した文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)という文章があり、その5か条の中に

 

「確実を旨とし浮利に趨(はし)らず」

 

すなわち

 

「目先の利益を追わず、信用を重んじ確実を旨とする経営姿勢」

 

というのがあります✨

 

僕も事業を立ち上げる際に、まずはしっかりと独立準備をして基盤を整えてから小売店事業に参入し、軌道に乗せていきました😊

 

それがすごく良かったと感じています😚

 

ついつい目先の利益に乗っかってしまうことも多いかもしれません💦

 

しかしそうではなく、しっかりと大阪のドン・住友財閥のように地に足を付けた経営をこれからも続けていきます❗️

 

(参考記事)

https://www.sumitomo.gr.jp/act/public-relations/magazine/feature/

【ビジネス】大阪の怪物企業、キーエンス創業者滝崎武光の経歴・考え方✨

おはようございます!三谷勇祐です😊

 

前回のパナソニックに引き続き、今回は知る人ぞ知る日本の怪物企業キーエンスを創業した滝崎武光さんについて調べてみました😆

 

滝崎武光さんは現在ではユニクロの柳井さんやソフトバンクの孫さんに次ぐ、日本で第三位の資産家❗️

その資産はなんと約2兆円❗️

 

そんな滝崎さんがどんな人なのかを調べてみました✨☺️

最終学歴は尼崎工業高校卒で、ダウンタウン松本人志さんと同じ高校の卒業生!

ってことで正直めちゃくちゃ優れた学歴を持っているわけでは無いです😄

 

にも関わらず29歳の時に当時のリード電気(現在のキーエンス)を設立✨

それまでにも2度の起業と倒産を経験した滝崎さん。

前回の記事で取り上げた松下幸之助さんと一緒で、若くして沢山の失敗経験を積んでいるということが成功の秘訣ではないかと思います!

 

 

また、めったに取材に応じない滝崎さんが日経ビジネスの取材で次のように語っていたそうです😍

「工業高校に入り、生徒会やら自治会の会長になり、尼崎市で女学校を入れて5つの学校で連合会を作りました。女学校に遊びに行きたいだけだったのかもしれません(笑)。

そのうち学生運動が盛んになり、京都大学の学生とかに勉強会に呼ばれたりしました。

ああいうことやるのは文系の人ばかり。文系は論理的じゃないですよね。思想の問題は、最終的には好き嫌いになる。私は(数字で勝負できる)事業をやる方がいいかなと」

(引用)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65336?page=2

 理系出身の社長ならではの考え方だと思いますし、現在でも驚異の営業利益率50%!

この原因は社員に社長の考え方が広まっているからなのではないでしょうか?

 

前回の松下幸之助さん、今回の滝崎武光さん、調べていくと勉強になることが沢山ありました❗️

今後も沢山勉強していきたいと思います✌️

 

(参考URL) 
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65336?page=2

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B4%8E%E6%AD%A6%E5%85%89

 

【ビジネス】大阪の経営の神様、松下幸之助の経歴・考え方について調べてみた

こんばんは。三谷祐介です。

今回は同じ大阪人で経営の神様とも呼ばれる偉人、松下幸之助についてブログを書いてみようと思います。

 

①経歴

9歳の時から丁稚奉公として働いていて、23歳で松下電気器具製作所を立ち上げています。

 

※ちなみに丁稚奉公(でっちぼうこう)とはまだ働き盛りに達しない、十分に成長していない子供が、他人に仕えて勤めるという意味。

 

9歳から働きだして、23歳で会社を立ち上げるという驚きの若さです!

この話で、若いころから色んな経験を積むことの大事さをすごく感じました。

 

②なぜ成功が出来たのか?

松下幸之助は下のように述べています。

  1. 生来身体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。
  2. 学歴がなかったので、常に人の教えを請うことができた。
  3. 財産がなかったので丁稚奉公に出されたが、そのおかげで幼いうちから商人としての躾を受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。
  4. お金がないから一歩一歩着実に計画を立て、資金のダム、信用のダム、設備のダムといった小さなダムを社内にいくつもつくり、銀行が与えてくれる信用の範囲内で融資を受けて、事業をやってきた。そのおかげで不況でも好況でも一貫して自己のペースで活動することができた。 

(引用)
https://konosuke-matsushita.com/biography/

身体が弱いから、学歴が無いから、財産が無いから、お金が無いから、、、

僕も何も無いところから独立の準備を始めてきて、何人も周りの人が上の理由で起業をするのを諦めて行く人を見てきました。

 

無いから出来るというのを理由にして頑張り続けてきて本当に良かったです。

経営者について知ることは勉強になるので今後も続けていきたいと思います。