【ビジネス】中内功の経歴・考え方(大阪の経営者シリーズ)

こんにちは。

三谷勇祐です。

 

今回は一代でダイエーを設立した超一流の大阪のビジネスマン、中内功さんの経歴について書いてみたいと思います。

 

①幼少期からダイエー設立まで(戦争の経験を経て)

中内さんは貧乏な家庭で育ち、小さい頃は毎日米を買いに行かされていたようです。

要はその日暮らしの生活をしていたとのこと。

 

成長してからは、フィリピンのジャングルにて戦争も体験。

その経験をこう語っています。

フィリピンの野戦でいったん死線を通ってきたのが私の原体験。人間は幸せに暮らしたいと常に考えています。幸せとは精神的なものと物質的なものとがありますが、まず物質的に飢えのない生活を実現していくことが、我々経済人の仕事ではないかと思います。

物質的に豊かさをもった社会こそ豊かな社会ではないか。好きなものが腹いっぱい食えるのが幸せです。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

 

この経験もあって、1957年に現在のダイエーの前身「主婦の店・ダイエー薬局」を立ち上げたそうです。

 

 

ダイエー立ち上げから価格破壊へ

「主婦の店」は主に衣料品・化粧品・薬品などを扱う店で、途中で価格競争に巻き込まれて苦戦していました。

その時の中内さんに、常務がこう言ったそうです。

「店の半分を改装して、食品を扱ったらどうでしょう。特に菓子類は絶対に置くべきです。」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

当時は食品のディスカウントは行われておらず、消費者にとっては非常にありがたい存在になりました。

これがキッカケで大繁盛し、チェーン店の展開が進んだようです。

 

その後ダイエーは、中内さんの幼い経験があってかもしれませんが「価格破壊」をキャッチフレーズに打ち出し、商品を2割、3割と安く販売していきました。

 

当然周囲からの反対もあったようですが、

「値段を安く、よい品物を提供するのは商人の使命なので、自信を持ってスーパーマーケット方式を進めていく」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉より引用

 

と言って、どんどん価格破壊を押し切っていきます。

これにより流通革命を起こしたダイエーは、昭和を代表する企業に成長しました。

 

③まとめ

ダイエーはバブル後の不況もあり現在はイオングループの一員でもありますが、確実に世の中に大きなインパクトをを起こした素晴らしいスーパーだと思います。

僕も周囲の反対を押し切ってでも、自分や社会のために必要な行動を起こしていきます。

 

(参考記事)

https://www.sbbit.jp/article/cont1/36599