【大阪の経営者シリーズ】小林一三がどのような考え方で阪急阪神グループを気づきあげたか?
こんにちは。三谷祐介です。
今回は阪急阪神グループを一代で気づきあげた小林一三氏について書きます。
小林一三氏といえば、何もないへんぴな田舎だった大阪の梅田から池田、池田から宝塚へ鉄道を敷いて街を発展させた天才実業家です。
成功する前の小林氏はダメ銀行員というレッテルを貼られていました。
周囲の評価が芳しく無い小林氏は鉄道設立を任されました。
なんとか成功させなければ彼の銀行での立場はありません。
そんなピンチの中、小林氏は計画していた路線を2往復したあと、「沿線に住宅地を開発して、分譲にしてみてはどうだろう?」と考えました。
当時の大阪市内には十分な借家がなく郊外居住者を市内に運ぶということになれば、新しい電鉄会社は経営が成り立つのではないか?とも考えたそうです。
更には、生活している人のことを考えて、新たなエンターテイメントを提供することの必要性も感じていました。
そのときに設立されたのが動物園、温泉、宝塚歌劇団、阪急百貨店でした。
ちなみに宝塚歌劇団は最初から計画されたものではなかった様子。
はじめは動物園でした。
当初は箕面に設立を考えたものの、地元住民の反対により失敗。
次に宝塚に新温泉の開園もしますが、温水プールがなく水が冷たすぎて失敗。
そのプールの施設の始末に困った小林氏が思いついたのが、少女だけで演じる宝塚歌劇団の設立でした。
当時は少女が物語の中で歌を歌うというシーンだけで笑い出すほどに異質な文化だったそうです。
しかし、若い男女の学生に感想を求めたら、
「これは素晴らしい!」
となって、そこから宝塚歌劇団の設立を決めたそうです。
このように、アイデアを思いついてそれを実行する。
時に失敗をしながらも大衆の声を聞きながらマーケティングをしていく。
笠原氏、中内氏、松下幸之助氏と経営者の考え方に触れていくことで、
自分の経営を見直す良いキッカケになりました!
これからも経営者の考え方に触れ続けます。
(参考記事)