【ビジネス】厚切りジェイソンさんの記事を読んで〜大事なのは全てを具体的に指示すること〜
こんにちは。
三谷勇祐です。
みなさんは厚切りジェイソンさんをご存知でしょうか??
お笑い芸人と会社役員という2つの顔を持つ多才な方です。
そんな厚切りジェイソンさんが、テレワークの可能性と課題について答えている記事を読みました。
先進的にテレワークに取り組んでこられた経験を話されていてかなり興味深かったので、今回はそのインタビューについて書いていきます!
現在、ジェイソンさんは株式会社テレスカイに所属していますが、芸人活動を始めた5年前よりほとんど行ってておらず電話とメールと画面共有を駆使して仕事をしているそうです。
テレワークの便利さをこう語っています。
僕は新卒の時はアメリカの「GE Healthcare IT」に入って医療系のプログラミングをやっていたんですけど、チームがインドやヨーロッパにもあったんです。なので、アメリカとインドとヨーロッパのチームが電話やメールでやりとりして、時差の関係があるので、24時間体制でずっとチームは動き続けることになるんです。こっちが寝ている間に向こうは働いているし、グローバルに回せるような形が取れる。そうすると、奇跡的な生産性が見せられるんですよ。
厚切りジェイソンが明かす自らの“限界点” より引用
ワールドワイドに拠点を広げていくと、こんなに凄いことが起きるんですね。
僕も現在は大阪で基盤づくりをしていますが、世界への事業展開もいつかやってみたいです。
ですが、ジェイソンさんはリモートで仕事をしていると「よろしくね!」が通じず、「全てを具体的に指示する」必要性を指摘しています。
同じ国で、同じ文化で、同じような育ち方をして、ましてや同じ職場で日々の作業を一にしている人たちならば「よろしくね!」で通じることがたくさんあります。
でも、それを他の国のチームに伝えるとすると、全てを明確に指示しておかないとなかなか成立しません。実際、僕がアメリカから各国とリモートで仕事をしていた時も、これでもかと事細かに仕事のやり方を書いて、各地のチームに指示してました。
日本は全般的に「そこまで言わなくても、何となく分かるだろう」という空気がすごく強い国ですが、距離が離れたり、文化を越えるとうまくいかない部分が出てきます。これは必ず出てくるんです。
厚切りジェイソンが明かす自らの“限界点” より引用
ジェイソンさんは世界でビジネスを行う上で「全てを具体的に指示する」することに必要性に言及しています。
しかしこれは海外に限らず、日本国内でも同じではないでしょうか?
僕は人材育成の仕事をしていて、
「具体的に何をするのか?」
「どう行動を変えていくのか?」
をいつも弟子に問いかけています。
自分の中であやふやにしてしまわず、具体的に行動していくためです。
どこの世界でも「何をするかが明確であること」が重要なのだと、この記事を読んでいて感じました。
(参考記事)
【ビジネス】若手の起業家・DJ社長から学ぶお金や行動することの大事さ
こんにちは!
三谷勇祐です。
普段は大阪で活動しているのですが、東京に出張した際にYoutubeの動画を紹介してもらいました。
かなり衝撃的だったので、今回はその動画を紹介させていただきたいと思います。
レペゼン地球のDJ社長。
レペゼン地球について、ご存知の方もいるかも多いと思いますが、福岡県出身の5人組です。
Youtubeのチャンネル登録者数は2020年7月現在で234万人!
音楽配信を本業としていますが、フリートークの動画もUPしている多才な若手グループです。
そんなDJ社長が自分の人生を語ったのが上の動画です。
かなり熱い内容なので、動画を見て僕が大事だと思ったポイントを書いていきます。
①目的意識を持って行動をする
DJ社長は人に指図されて毎日同じ生活を繰り返すのは嫌だと高校生から思い始めて、社長になることを決意して駒沢大学の経営学部に入ります。
しかし経営学部の授業を受けていても一向に経営の方法を教えてくれないという状況に気づきます。
経営者になることが目的だったDJ社長はまず、色んな社長に話を聞きに行きました。
自分が社長になりたいという目的があるから、直接話を聞きにいくという行動力は流石ですよね。
②ビジョンを語り続ける
DJ社長は「東京ドームでライブをやる」というビジョンを持っています。
彼はそれを、周りの人に言い続けました。
最初は小さなライブハウスを活動拠点にしていたのですが、最近では幕張メッセでのライブまで上り詰めています。
僕も彼と同じようにビジョンを語り続けてきたからこそ、年収1500万円ベースまで稼げる経営者になりました。
③行動し続ける
結局、これが一番大事!
大半の人は「良い動画を見ても実際に行動に移さない」とDJ社長は強く言っています。
僕も自分が一人では弱いからこそ学ぶ人を決めて仲間と切磋琢磨して行動してきました。
それが今の結果に繋がったのだと思います。
以上3点を述べましたが、いかがでしょうか??
まずは一緒に行動することから始めていきましょう。
【大阪の経営者シリーズ】資生堂前社長・前田新造から事業の成功について学ぶ
こんにちは。三谷勇祐です。
あまり知られていませんが、
今回はそんな前田さんが大事にしてきたことを学んでいきたいと思います。
①「天網恢恢、疎而不失」(天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして失わず)
意味は
「辛い状況に置かれていても真面目に取り組んでいれば、お天道様は必ずみている」
という不遇な人への励ましだそうです。
これは前田さんが40代のころに大事にしていたことわざです。
前田さんは資生堂の内部で左遷されて仕事が無くなり、
定時出社定時退社を繰り返す中で「社内で必要とされていない」と感じ、
資生堂をやめようと思ったそうです。
その時に上司から「会社やめるなよ」と言われて、
「もう一度仕事を下さい」と部長に打診をしてみろと言われて、
辛い思いをしながらもそこから一生懸命仕事をしました。
そこから「仕事をするということはこんなに楽しいのか!」と気づき、出世街道へ。
僕も事業を立ち上げた時は苦労の連続でしたが、
現在では年々事業規模も拡大しているため、
今は仕事が面白くて仕方がないステージになってきました。
②お客様の声を聞く
前田さんが企画部長のときにそれまで設定されていた売上目標を廃止し、
その代わりにお客様へアンケートの実施を開始しました。
そこには称賛の声も沢山ありましたが、中には苦情も記載されていたそうです。
前田さんはそれを改善のヒントとして利用していました。
「店の照明が暗くて自分の化粧がわからない」
というアンケート回答に対してすぐに改善すると、
「私がちょっと言っただけなのに、変えてくれた!!」
と来店時に直接お褒めの言葉をいただいたというエピソードがあったそうです。
売上目標を廃止した時は社内での批判も大きかったようですが、
むしろ右肩上がりで増益を重ねたそうです。
僕も現在は店舗経営をしてお客様と直接話す機会がありますが、
前田さんから学んだ通りにもっとニーズを聞き出して売上の拡大に努めます。
こうやって前田さんも
・紆余曲折ありながらも一生懸命仕事をしてきた
・しっかりとお客様のニーズを聞く
という当たり前のことを実践することで出世してきたんだと学びました。
これからも大阪の方も含め、
いろいろな経営者の方から学んでいきます!
(参考記事)
【大阪の経営者シリーズ】吉本興業・吉野伊佐男から事業の成功について学ぶ
こんにちは。三谷勇祐です。
大阪と言えばお笑い!
お笑いといえば吉本興業!
成功の秘訣を学んでいきたいと思います。
吉野さんは東大阪市出身。
最初の配属先は総務部株式課。
吉野さんはお金を稼ぐ仕事をしたかったため
毎日総務部長に異動を希望するものの、その次に行かされた部署は経理。
でも吉野さんはこう語っています。
会社の考え方や仕組み、お金の流れについて大きな責任を負わされることなく若いうちから見てたんで、表向きは楽しい華やかな世界でも、裏にはお金のやりくりのしんどさや地味な裏方仕事があって回ってるんや、と知った。その後働いてきた約50年のベースがある気がします。
辛抱しながら真面目に勤めていると小さくても楽しさを自分で見出せるし、そういう仕事ぶりを認めてくれる人たちも出てくるし。そうそう捨てたもんじゃないよ、
僕も事業を立ち上げるとき、3年から5年は修行だ師匠に言ってもらって、
その経験があるからこそ今の自分があると思います。
吉野さんはその後、花形の制作部に異動になった際も
「揉め事が起こったから謝ってきて」「遅刻したから謝ってきて」
など便利屋状態だったようでその時のこともこう語っています。
誰もやらないから、やってただけです、やむなく。便利屋ですよ。まあ、ある意味では、この手の仕事が僕の得意分野やと周りが決めてくれたのかもしれませんけど。
僕も仕事は出来る方だったので何でも引き受けてきたおかげで、
色んな人と仕事が出来たり、自分自身の仕事が出来る幅も
大きく広がってきてすごく良い経験をしました。
吉野さんのインタビューを読んで
・下積み時代の経験は必ず生きる
・頼まれごとを引き受けているうちに自分の得意なことがわかる
ということを学びました。
これからも経営者の記事を読みながら日々学んでいきます!
【大阪の経営者シリーズ】串カツ田中の創業者・貫啓二から事業の成功について学ぶ
こんにちは。三谷勇祐です。
今回は大阪名物である串カツのお店で、関東を中心に店舗拡大をしている人気店
『串カツ田中』の創業者、貫啓二さんについて記事を書いていきたいと思います。
串カツ田中とは?
2002年に創業、2008年に1号店を世田谷にオープンし
現在では関東圏を中心に約200店舗を展開する、大人気の飲食店です。
なぜ事業の道へ進んだのか?
貫さんは高校を卒業してすぐにトヨタ自動車に入社しました。
安定はしていたけれども、組織は縦社会のため「高卒は出世出来ない」
と気づき、行き詰まっていました。
その頃に外車を乗り回している知人をみて、起業の意志を固めたようです。
僕も今ではメルセデスに乗っていますが、
師匠が高級車に乗っているのを見て
「自分も早くあんな車に乗りたい!」
と思ったのも頑張る理由の一つでした。
従業員を考えた理念
公式HPを参照すると
「スタッフが笑顔で安心して働け、かつ、やりがいのある会社を作ります 」
と記載されています。
働く人のことを考えて、会社を経営している貫さんの姿勢はとても尊敬できます。
僕も企業理念の中に“Diversity”を入れていて、
「女性や価値観関係なく、一緒に仕事が出来る人と一緒に仕事をする」
という考えを大切にしています。
串カツ田中の美味しい秘密
チェーン化すると味が落ちる言うイメージがあるという質問に対して、
貫さんはこう答えています。
「ないです。例えばどての味噌は店で練っていましたが、火加減で質も変わります。量産化でメーカーに委託すると逆に味のぶれがなくなる。衛生面でも個人店とは比較にならないくらいチェックをします。しかも素材をパックで納品してもらうなど手に触れることもない。チェーンってめちゃくちゃ安心やなと。」
ないとハッキリと答えられるぐらい徹底した品質管理を行っていて
シンプルにスゴイと思いました。
また、パックでの納品を徹底しているとおっしゃっていました。
仕組みを作っていくことが事業成功の秘訣と教わっているので
僕自身もしっかりと仕組みを作っていくことを徹底していきます。
学び続けることが成功の秘訣とも教わってきているので、
これからも記事を書きながらみなさまにアウトプットし、僕が一番学びます!
(参考URL)
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO40598470Z20C19A1000000/
【大阪の経営者シリーズ】カルピスの創業者・三島海雲から事業の成功について学ぶ
こんにちは、三谷祐介です。
今回もテーマは大阪出身の経営者。
カルピスの創業者である三島海雲さんの信念について学びました。
①『国利民福』
海運さんの生涯の目標は、
「国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成すこと。」
僕も事業を立ち上げる時にずっと教わってきたのは、
「ビジョンを大きく持つこと」です。
2020年6月現在、年収1500万ベースへは到達しました。
もちろん億を稼ぐ経営者になるという目標もあります。
将来は海運さんのように国を巻き込むぐらいの経営者になっていきます。
② 『広告の目的』
海運さんはこうも言っています。
「広告の狙いは、商品そのものを売ることではない。企業体のイメージを一般大衆の心のなかに送り込むことである。」
「カルピスを売る会社は立派な仕事をする会社だ」という印象を
消費者に植え付ければ、消費者はカルピスという商品も大好きになる。
当たり前のことを言っていますが、
目先の利益を目的にするのではなく、
先をみて仕事をしていくということです。
今実践していることと同じだというのを感じました。
③『熱心に物事に打ち込む』
「三島さんは何事によらず、こうしようと思ったことには熱心だ。それが人の心を打つ。それからすこぶる正直である。それでは人は三島さんを応援したくなる。一言でいえば三島さんの人徳ということです。」
日本石油(株)社長・栗田淳一
海運さんは学生時代中国に留学してお腹を壊したとき、
今のカルピスの原点である「酸乳」に出会い、それを広めたいと思ったそうです。
広めるにあたって、専門家の意見を聞かざるをえない時には
素直に一流の専門家から熱心に人の話を聞いていたそうです。
「熱心で愚直に学ぶ姿が人を動かす」というのは今も昔も全く変わりませんね。
時代は変われど、大事にすべき信念などは一緒。
今日もカルピスの三島海運さんから学ばせていただきました。
引き続き、大阪の経営者の方々について学んでいきます!
(参考記事)
【大阪の経営者シリーズ】小林一三がどのような考え方で阪急阪神グループを気づきあげたか?
こんにちは。三谷祐介です。
今回は阪急阪神グループを一代で気づきあげた小林一三氏について書きます。
小林一三氏といえば、何もないへんぴな田舎だった大阪の梅田から池田、池田から宝塚へ鉄道を敷いて街を発展させた天才実業家です。
成功する前の小林氏はダメ銀行員というレッテルを貼られていました。
周囲の評価が芳しく無い小林氏は鉄道設立を任されました。
なんとか成功させなければ彼の銀行での立場はありません。
そんなピンチの中、小林氏は計画していた路線を2往復したあと、「沿線に住宅地を開発して、分譲にしてみてはどうだろう?」と考えました。
当時の大阪市内には十分な借家がなく郊外居住者を市内に運ぶということになれば、新しい電鉄会社は経営が成り立つのではないか?とも考えたそうです。
更には、生活している人のことを考えて、新たなエンターテイメントを提供することの必要性も感じていました。
そのときに設立されたのが動物園、温泉、宝塚歌劇団、阪急百貨店でした。
ちなみに宝塚歌劇団は最初から計画されたものではなかった様子。
はじめは動物園でした。
当初は箕面に設立を考えたものの、地元住民の反対により失敗。
次に宝塚に新温泉の開園もしますが、温水プールがなく水が冷たすぎて失敗。
そのプールの施設の始末に困った小林氏が思いついたのが、少女だけで演じる宝塚歌劇団の設立でした。
当時は少女が物語の中で歌を歌うというシーンだけで笑い出すほどに異質な文化だったそうです。
しかし、若い男女の学生に感想を求めたら、
「これは素晴らしい!」
となって、そこから宝塚歌劇団の設立を決めたそうです。
このように、アイデアを思いついてそれを実行する。
時に失敗をしながらも大衆の声を聞きながらマーケティングをしていく。
笠原氏、中内氏、松下幸之助氏と経営者の考え方に触れていくことで、
自分の経営を見直す良いキッカケになりました!
これからも経営者の考え方に触れ続けます。
(参考記事)